いしかわ薬局

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「#ブラックボックス展」

「#ブラックボックス展」

 

はじめに

 ブラックボックス展の「ネタバレ」が解禁されてから数日が経ちました。現状、本展覧会に関するツイートで注目されているのは、ブラックボックス展に足を運び、体験した人々それぞれの解釈ではなく管理体制の問題に関する内容です。

 このような問題が起きてしまったことは非常に残念ですし、決して許されていいことではありません。「アート」である以上(私は今回の展覧会をアートだと捉えています)、安全面の確保は最低限度の条件であると思います。

 

 しかしながら、安全面に関する批判はアート自身が持つ批評性とは異なるものであると考えます。

 私は管理体制を問うツイートより、今回の展示に実際に足を運ばれた皆さんがどのように感じ、考え、解釈したのかを知りたいと思っています。「ネタバレ」ではなく「解釈」を知りたいのです。そして、その一つとして私自身の体験と解釈をここに残しておきたいと考えています。

 

 

 

6月8日 

 Twitterでこのハッシュタグを見かけた。

「ただ立ち尽くすしかなかった」「恐怖と絶望」「泣き崩れる人がいた」等の意味深なツイートが並ぶ中、誰一人展示内容を口外していないことに違和感をおぼえた。

 ツイートを辿ると、“なかのひとよ”“サザエbot”というアカウントにたどり着いた。サザエbotといえば、何年も前に流行った(?)磯野家風に他者の名言をツイートするアカウントである。そんなサザエbotが何故今頃…?と思ったが、なかのひとよとしての活動経歴をみて興味を持った。

 

 また、筆者はSNSの匿名性に関して問題意識を持っており、現在、問題提起をコンセプトとした展覧会の企画に携わっている。

 ブラックボックス展の展示内容は大方予想していたものの、それだけでは説明のつかない感想(「絶望」「泣き崩れる人が云々」)も多く、本展覧会のコンセプトや集客方法をこの目で確かめたい・・・踊らされに行ってみよう!という思いで会場へ向かった。

 

 

6月10日

 この日の開場時刻は13時。開場前にも関わらず、既に待機列ができていた。列に並んでいた年齢層は10代後半から推定30、40代までと幅広く、予想外の層の厚さに驚いた。列に並ぶ人々はそれぞれ思い思いに展示内容を想像し、あれこれ考えを巡らせているようだった。

 どんな展示内容なのか明らかにされていない状況の中、これだけ多くの人々が集まり、大人しく列に並んで順番を待つ様子は圧巻であり、とても現実の出来事とは思えないほどの違和感があった。

 

 展覧会は既に一段階アップデートされた「ネクストレベル」であった。とは言うものの、展覧会の性質上、どのようにアップデートされたのかを知ることはできない。

 同行してくれた友人と共に入場待機列に並ぶことおよそ1時間。同意書に署名し、ようやく会場内に入ることができた。ちなみにネクストレベルでは例のバウンサーはおらず、選別されることなく会場へ。

 入場料も無料。ギャラリーを借りるにも、展示をするにもお金がかかる。資金はどこから調達しているのだろうかと疑問に思った。

 

 会場に入ると、早速得体の知れない展示が目に入った。実際にギャラリーに足を運んだ方、もしくは会場内の構造をご存知の方(どなたかが図解されていたので、そちらをご参照ください。)には伝わるであろう、2F展示室につながるあの階段。その下に置かれた、得体の知れない黒い箱。

 箱の上面には丸く穴があいており、中に手を突っ込むことができる。そして壁には「ネクストレベル」「反転世界」に関して記載されたパネル。なるほどこれが新たに追加された展示なのか、と納得した。

 

 はじめは勇気が出ず、箱の中に手をいれることができなかった。しかし、展示室から出て階段を降りてきた女性が箱に手を入れた。箱の中から出てきたのは、真っ黒なカプセル。

 その女性は、ギャラリーのお兄さん(かっこよかった)に1000円を支払い、カプセルを入手していた。筆者と友人も、チケット代だと思えば高くない、と購入を決めた。カプセルは帰宅するまであけてはいけない、とのことだった。

 

 2Fの展示室へつながる階段を上ると、暗幕で区切られた入口がみえた。左にはパネル、右には黒い丸シール(この辺りのくだりは省略する)があった。

元々ギャラリーにきていた他の鑑賞者(女性2名、4才くらいの男児1名)が筆者のすぐ後ろに並んだ。展示内容がわからないなりに、子どもには恐怖でしかないのでは・・と心配になった。

 

 暗幕から向こうは、1人ずつ入れるようになっていた。

・・・緊張。

 

 入口に立っていた男性スタッフに案内され、ようやく展示室の中へ。

暗幕は何重かになっており、外部の光が遮断されるようになっていた。

 

・・・・・・

・・・

暗闇!

 

展示室の中はとにかく暗かった。とっさに荷物を抱え、自分の防犯意識が働いたことに驚いた。しばらくすれば暗闇にも慣れて、少しくらいは見えるようになるだろうと思っていたがそんなことはなかった。

展示室の中に人が何人いるのか、入ってから何分経ったのかもわからない。

先に予想していた展示内容のなかに「暗闇」という案はあったが、予想以上の暗闇にたじろいだ。しかし、絶望や怒り、涙までは結びつかない・・・。

あの感想は何だったのか?

 

そんなことを考えていると、展示室に新たな鑑賞者が。

女性たちの「キャー、何これ」「○○くん!!いる!!?大丈夫!?」という声が聞こえた。先ほどの子ども連れである。

声がした方向をみると、そこには暗闇の中に浮かび上がる無数の星が。

少し低い位置で。

 

・・・。

 

○○くんの服であろう。

子供服特有の蓄光材。

 

なおも慌て続ける女性2人。筆者は思わず笑いながら「あの・・、お子さんの服が・・・」と声をかけた。

女性たちもそれに気づき、すみません、ありがとうございます、と笑っていた。

そのとき、展示室の空気が一気にあたたかくなったように感じた。

お子さんが恐がっていたこともあり、女性たちは早々に展示室を後にしたようだった。

 

 そんな珍事件が起きた後だったので、暗闇に対する恐怖感はほとんど薄れていた。壁をつたって歩いてみたり、軽くたたいてみたり。途中、出入り口の暗幕から光が漏れ、展示室の中がうっすら見えることもあった。それから、何度も人にぶつかり、「すみません。」と謝り続けるイベントも無事クリア。

 

 展示室を出てから友人と落ち合った。お互いに、まぁ、なるほどね、といった顔をしていた。

会場入口に設置されていたなかのひとよのポーズも、暗闇の中でなにかを探ろうとしていた先ほどまでの我々の姿と重なり合点がいった。

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階段をおりて、先ほどのネクストレベルに挑戦。

帰宅するまで開封は我慢。

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 ギャラリーを出る際、ある紙を持ち帰るようにスタッフの方に声をかけられた。

このある紙こそが本展覧会の集客力の鍵を握っていた。

それが「許可書」である。

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 鑑賞者は展覧会を「絶賛/酷評する感想」そして「嘘の展示内容」の投稿・公言を「許可」されていた。そして我々はそれらの情報からありとあらゆる想像をめぐらせ、この展覧会に集まってきたのだ。

いかにも「ツイッターの皆さん」が好きそうな構造である。

 

出口付近に置かれたタブレットには、「#ブラックボックス展」のツイートがいくつか表示されていた。

これは、やるしかない。と、共犯意識のようなものを抱いた筆者と友人は、帰りの電車内でポエ散らかしてみせたのだった。

 

 

帰宅後。

ついにカプセルを開封するときがきた。友人と時間を合わせ、同時刻に開封することに。

 

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中から出てきたのは、ぐしゃぐしゃにされた紙。

そしてその中に包まれていたのは、

 

指?

・・・のようにも見える、耳栓であった。その形と色の不気味さに怯える筆者と友人。

ぐしゃぐしゃの紙にはQRコードと番号、そして反転された文字で「世界」とカプセルの開封方法が記載されていた。

恐る恐るQRコードを読み取ると、見慣れたアイコンのツイートが表示された。

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なるほど。

カプセルを開封するための方法を知ることは、カプセルを開封すること。

夢をかなえるための方法を知ることは、夢をかなえること。

反転世界。

 許可書をみて本展覧会の主旨を理解したような気になっていた我々は、またあの暗闇に突き放された気分になった。

 

解釈

 今回、筆者はブラックボックス展に足を運び、暗闇の中で「視覚」を奪われた。そして帰宅後に開封したカプセルには耳栓、即ち「聴覚」を奪う道具がはいっていた。

 我々が普段目にしているもの、認識している情報は全て自分自身というフィルターを通して取得している。取得されない情報は、自分にとって存在していないことと同義である。この「自分自身というフィルターを通していること」を再認識することが重要である。まさに”THE WORLD IS YOU”に他ならない。

 

 SNS上の情報をただ鵜呑みにするだけでなく、そこから自分自身の考えへと深めるために、我々に必要であり、また現状欠如しているのは「想像力」ではないだろうか。なかのひとよは、本展覧会を通して現代社会に生きる我々に「想像力」の必要性を訴えているのではないかと解釈した。

 実際に展覧会に足を運ばずとも、鑑賞者のツイートをみて「一体どんな展示なのだろう」と考えを巡らせた人は少なくないだろう。その行為自体に価値があったのではないだろうか。

 

 上記の解釈は全て、筆者の「想像」に過ぎない。あの場所に確かにあったのは、暗闇である。

 

THE WORLD IS YOU

あなたは、なにを感じましたか。